祈りと献身が導いた、奇跡のような人生の軌跡とは──
江戸時代、京都の八百屋に生まれた庶民の少女・お玉。
その人生は、「玉の輿」という言葉の語源となり、時代を越えて今なお語り継がれています。
この記事では、桂昌院の物語を通じて、祈りと霊的感性が
どのように人の運命を変えうるのかを、静かにひもといていきます。
目次(「玉の輿」にのるには?言葉の由来となった女性と祈りのチカラ)
「玉の輿」という言葉の由来
「玉の輿(たまのこし)」という言葉は、今もよく知られています。
身分や環境の違いを越え、裕福で地位のある相手と結婚し、人生が大きく開かれていくこと。
そんな夢のような出来事を、私たちは「玉の輿にのる」と表現します。
この言葉のもとになったのが、江戸時代の女性・桂昌院(けいしょういん)。
彼女はもともと、京都の八百屋に生まれた庶民の娘でした。
名前は「お玉」といい、町の中で質素に暮らしていたと伝えられています。
けれど、お玉はやがて三代将軍・徳川家光の側室となり、その子である綱吉が五代将軍に就任。
彼女自身も「将軍の母」という特別な地位を得ることになります。
庶民の出自から、徳川幕府の中心へ──その劇的な人生が「玉の輿」という言葉を生んだのです。
ここでいう「輿(こし)」とは、昔の身分の高い人が乗る、かごや乗り物のこと。
「玉」は、美しく尊いものの象徴。
つまり「玉の輿」とは、「尊い乗り物にのって運ばれるほど、幸運で高貴な立場にのぼること」を意味します。
けれど、この言葉の奥には、ただ運や偶然では語れないものが隠れています。
それは、お玉というひとりの女性が持っていた、深い信仰と、祈りの力。
玉の輿とは、もしかすると「祈りに応じて開かれた運命の扉」だったのかもしれません。
お玉という少女の信仰心
お玉が生まれたのは、江戸時代のはじまりにあたる17世紀初め。
京都の西陣という町で、八百屋を営む家庭に育ちました。
華やかな家柄ではありません。
けれどその分、人とのつながりを大切にし、日々の暮らしを丁寧に生きる。
そんな、素朴であたたかな環境に包まれていました。
幼い頃から、お玉にはある特別な習慣がありました。
それは、観音さまに手を合わせること。
朝に、夕に、ひとりで静かに祈る時間を大切にしていたのです。
当時の京都では、観音信仰が庶民のあいだで広く根づいていました。
「観音経」を唱えれば、どんな願いも聞き届けてもらえる。
苦しみや困難を乗り越える力を授かる。
そんな思いが、人々の心を支えていた時代です。
けれど、お玉の祈りはどこか違っていました。
商売繁盛や病気平癒といった現世の願いを超え、彼女の心には「自分の運命を変える力が、観音さまにある」という、信じる力が深く根を張っていたのです。
「どうか、私を導いてください」
「私の歩む道が、光で満たされますように」
そんな思いを、毎日のように心の中で繰り返していたのかもしれません。
信仰とは、目に見えないものを信じること。
けれど、それがときに、運命を変えるほどの力を生むことがあります。
お玉の人生を変えたもの。
それは偶然でも幸運でもなく、観音さまへの深い祈りと、それを貫く心の清らかさだったのではないでしょうか。
そして、彼女の願いはやがて、ひとつずつ現実となっていきます。
玉の輿神社と呼ばれる今宮神社
京都の北、紫野にある今宮神社。
この地にたたずむ神社が、いつしか「玉の輿神社」と呼ばれるようになりました。
その背景には、若き日のお玉と、この神社との深い縁があります。
お玉がまだ庶民の娘であった頃、今宮神社へと足しげく通い、願いをかけていたと伝えられています。
その願いはただひとつ。
「よき縁にめぐまれ、よりよい人生を歩むこと」。
今宮神社は、病気平癒や厄除け、良縁成就などのご利益で知られ、庶民にとっても身近な信仰の場でした。
その社殿の前で、お玉は何度も手を合わせたのでしょう。
神社に祀られているのは、神道の神々である
大己貴命(おおなむちのみこと/大国主命)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。
仏教の観音菩薩とは異なりますが、当時の京都では、神道と仏教が深く結びついていました。
お玉は観音さまへの祈りとともに、この神社でも誠実に願いを重ねていたのでしょう。
その信仰心の深さが、やがて人生を大きく動かしていきます。
そして彼女は、徳川家光の側室となり、ついには将軍の母として迎えられることになるのです。
「玉の輿」という言葉が生まれ、今宮神社がその象徴として語られるようになったのは、お玉のこの物語が、あまりに劇的だったからにほかなりません。
将軍の母・桂昌院となって
徳川家光の側室となったお玉は、大奥へと迎えられます。
やがて男子を出産し、その子がのちの五代将軍・徳川綱吉となることで、彼女は将軍の母という、極めて高い立場へと昇りました。
このとき、彼女は「桂昌院(けいしょういん)」という名を賜ります。
庶民の娘から、天下の母へ。
まさに、劇的な人生の変化でした。
けれどその変化の中で、彼女の心が変わることはありませんでした。
大奥というきらびやかな世界に身を置きながらも、桂昌院は、信仰と祈りを忘れなかったのです。
観音さまへの信頼は、少女のころと変わらぬまま。
彼女は今なお、「祈りの人」としてあり続けていたのです。
高い地位に就いたからこそ、できることがある。
恵まれたからこそ、感謝と謙虚さを持って生きる。
桂昌院の心は、常にそのように向けられていました。
護国寺の建立も、その心のあらわれでした。
護国寺に込めた霊的な願い
桂昌院が深く信仰し、自らの願いをかたちにした寺院。
それが、東京都文京区にある護国寺です。
建立されたのは、1681年。
桂昌院が息子・徳川綱吉の将軍就任を見届けたあとでした。
この寺には、彼女の内に秘められた強い願いが込められています。
それは、自分のための祈りではありませんでした。
天下の安寧、民の幸福、そして弱き者の救い。
自らが得たものを、すこしでも世の中のために活かしたいという、深く静かな「奉仕の祈り」。
ご本尊は、如意輪観音(にょいりんかんのん)。
願いごとをかなえ、あらゆる苦しみを救うとされる観音さまです。
とくに、女性や子ども、弱者にやさしく寄り添う存在として、古くから信仰されてきました。
桂昌院にとって如意輪観音は、少女の頃からの導き手でした。
日々の祈りのなかで交わしてきた、心の対話。
それが、この寺の建立というかたちで結実したのです。
護国寺という名前には、「国を護る」という願いが込められています。
けれどそれは、武力や制度で守るということではありません。
一人ひとりの心が穏やかであること。
弱い立場の人々が安心して生きられること。
そうした小さな平和の積み重ねこそが、やがて大きな安寧へとつながる。
そのような思いを、桂昌院は観音さまに託したのかもしれません。
母として将軍に与えた影響
桂昌院がこの世に残した、もっとも大きな影響のひとつ。
それは、将軍となった息子・徳川綱吉の政治に、「慈悲」の精神が色濃く反映されたことでした。
綱吉は五代将軍として、江戸幕府の中期を治めた人物です。
その政治の中でも、とくに有名なのが「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」。
動物や弱きものの命を大切にし、いたずらに殺傷することを禁じた法令です。
この政策の背後には、桂昌院の深い信仰と、人々や生きものに向けるまなざしがあったといわれています。
桂昌院は、庶民としての出自を忘れませんでした。
だからこそ、立場の弱い人びとの痛みや苦しみにも、自然と心を寄せることができたのです。
その教えは、母から子へと静かに受け継がれ、やがて幕府の政策へと広がっていきました。
綱吉の政治は、時に厳しく批判されることもあります。
けれど、その根底には「すべての命を慈しむ」という、深い思想があったことは否定できません。
時代を先取りしていた命へのまなざし
「生類憐みの令」は、今でこそ歴史の中で賛否両論のある政策として知られています。
けれど、その本質を見つめなおしたとき、この法令がどれほど先進的な考え方に基づいていたかが、静かに浮かび上がってきます。
この法令は、徳川綱吉が在任中に出したもので、人間だけでなく、犬や猫、鳥、魚にいたるまで、あらゆる生きものの命を大切にすることを求めました。
病気の犬の保護、無用な殺生の禁止、捨て子や老いた者への配慮。
それらは、今で言えば「動物福祉」や「社会的弱者の権利」といった概念に近いものです。
このような考え方は、当時の世界にはほとんど存在していませんでした。
17世紀のヨーロッパでは、動物は労働力や食料として扱われ、命として尊重されることは、ほとんどなかった時代。
政治の場で「弱い存在を守る」という思想が語られることも、稀なことでした。
そんな中で、日本という島国で打ち出された「すべての命を慈しむ」という政策は、まさに時代を先取りしていたと言えます。
そして、その根底にあったのが、桂昌院の持っていた仏教的な慈悲の心。
人間だけでなく、命あるものすべてに向けるやさしいまなざし。
それが、息子・綱吉の政治にまでしっかりと息づいていたのです。
命は尊いもの。
声なき存在にも、魂がある。
そうした祈りにも似た感性が、国を動かす指針となっていたことは、今もなお、深い感銘を与えてくれます。
現代のわたしたちへ届く光
桂昌院の人生では、祈りが人生を変える原動力になりました。
庶民の娘として生まれ、観音さまに願いを重ね、将軍の母となってもなお、信仰と献身を失わなかった女性。
その静かな歩みは、時代を越えて、今を生きる私たちにも問いかけてきます。
運命を変えるのは、特別な力ではないのかもしれません。
日々、心を込めて生きること。
誰にも知られなくても、ただ一心に祈ること。
その積み重ねによって、人生のかたちを大きく変える可能性があるのだということ。
「玉の輿」という言葉は、表面的には華やかな響きを持っています。
けれどその背後にあるのは、桂昌院というひとりの女性の、静かで深い信仰の記憶。
わたしたちもまた、日々のなかで悩みや迷いを抱えています。
思うようにいかないこと、未来が見えないこと。
けれど、そんなときこそ、願いを明確にして、信じて祈り続けることが運をひらく鍵。
桂昌院が遺したものは、玉の輿のような
大きな願いを叶えるための本質が詰まっています。
祈りと献身が、運命をひらく力になるということ。
それを証しとして、私たちに静かに教えてくれているのです。
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星のしずく メインセラピスト。「今日のメッセージ」主宰。「今日のメッセージ」Facebookページではヒーリング系でNO1の実績である24,819以上のいいね!を集め、ピリチュアル分野でトップレベルの人気ページとして注目される。毎月行う新月の無料ヒーリングでは毎回9,155人以上が参加。参加者から毎日のように数々のポジティブな変化の報告が寄せられる。